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第535回 神戸お話伺いメモ 2011/8/13 [2011年神戸お話伺いメモ]

・70代男性。一人暮らし。中央区で全壊。被災当時は母と妻との3人暮らしだったが,この復興住宅に入居する前に相次いで病気で亡くした。
ポートアイランドの仮設住宅を経て,ここに入居して12年目。震災からしばらくした頃,糖尿病のため仕事を続けられなくなり,現在は生活保護で暮らす。
3年前,脳梗塞で倒れたが,素早く自分で医者に連絡した甲斐があって,軽くて済んだ。足や手もリハビリの成果と努力で回復し,来てもらっていたヘルパーも不要になるほどに,自立生活している。通院や買い物のため外出して運動し,食事療法に気を遣うなど,健康維持に努めている。

・40代男性。東灘区で全壊。両親と3人で住んでいた,3階建てのマンションの1階がつぶれて2階建てのようになり,5人亡くなった。近くの公園内に建設中の施設を避難所代わりにして過ごした後,同区内の仮設住宅を経て,この復興住宅に入居して12年目。
バリアフリー化された部屋だが,軽度の障碍者が自立生活するには便利だが,介助する立場から不便を感じるところが多い。お盆にあわせて介助施設から帰宅する母を迎えるため在宅していた。
長距離トラックの運転手を20年していて,うちにいることは非常に少ない。阪神淡路大震災の時は,舞鶴で激しい揺れに遭い,やがて神戸が震源らしいことを知り,火の手が上がっているのを見るや「帰る家がなくなった」と思った。支援物資の輸送も手がけ,中越地震の被災地にも行ったことがある。
8日に東日本大震災の被災地,宮城県女川町に行ったら,津波で流されていて「何(なん)もあらへん」,「神戸よりひどい」。3月11日の東日本大震災の時はポートアイランドにいたが,人工島で地盤がゆるいせいか,かなり揺れた感じがした。

・70代女性,一人暮らし。中央区で全壊。震災前に夫を亡くし,子どもも1人は独立していたので,震災時は母子2人暮らしだった。近くの公園で炊き出しを手伝うなどしたが,早くに公営住宅に入居できたので,仮設住宅には入らず。震災の時は布団の中でふるえていたが,上から落ちてきた物に足を挟まれ,動けずにいたところ,息子さんが引き出してくれた。何日かして挟まれていたところが変色してきて,現在も痛みが。調理師の仕事を今も続けながら,この復興住宅に入居して10年,3食しっかり食べるのが元気のもとと,一人暮らしを続けている。東北の事については三重苦でかわいそうと、心からおっしゃってました。

・男性。今年家族を亡くし初盆を迎えた。悲しみで話しをするような気にならない。と落ち込んでおられた。

・男性。今日はすまないが話をする気分ではないといわれた。

以上
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