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第537回 神戸お話伺いメモ 2011/9/10 [2011年神戸お話伺いメモ]

・80代男性,夫婦2人暮らし。中央区で全壊。大阪の妹宅に一時身を寄せたが,同区内の民間アパートで8年過ごした後,この復興住宅へ。
普段の買い物は奥さんが。警察に40年勤め,主に交通違反者の処分に関する仕事をしていた。
7年前,顔の筋肉が化膿し,手首の筋肉を移植した。そのため,話すのもたいへんな中,お話し伺いに応じてくださった。

・80代・50代女性,宝塚市で被災。タンスが倒れてきて頭に当たり,14針縫うケガを負い,怖い思いをした。
当時居住していた県営住宅は倒壊せず,ガス・水道・電気もすぐに復旧し,仮設住宅にも入らなかったのは,不幸中の幸いだった。
職場にも復職でき,生活には困らず今に至っている。(自身で支援シートにご記入)

・40代女性。震災時は北区。高校生の子どもが2人おり,上の子はこの日も自宅で受験勉強中。同じ復興住宅に父親がいるため,何度も申し込んで,3年前に入居。

・女性。2週間前,予告チラシを投函した際にお目にかかったところ,フラッシュバックであろうか,東日本大震災以来,血圧が上下してしんどいとのことだった。今回,体調を尋ねたら,「前よりは少し元気になった。薬たくさん飲んだから。出かけなあかんし…。」と,出がけにお話し伺い。

・女性。東灘区で全壊。震災時は仕事の関係で奈良にいたが,かなり揺れた。テレビを観て神戸がたいへんなことになっていることを知り,在宅していた息子を心配した。
ポートアイランドの仮設住宅を経てこの復興住宅に入居して13年目。膝が悪く歩くのがたいへんと,インターホン越しにお話し伺い。

・80代女性,一人暮らし。灘区で全壊。文化住宅の2階にいたので自分は大丈夫だったが,階下の住人は亡くなった。身内のもとや近くの高校の避難所に身を寄せた後,ポートアイランドの仮設住宅に4年過ごし,この復興住宅に入居して13年目。
夫は,阪神淡路大震災の前年に亡くなったが,震災を知らず幸せだった。震災の時まで,Yシャツの縫製の仕事をしていて,7人ぐらいの女性を雇用して,百貨店などに納めていた。息子が月に1回は訪ねてきてくれる。今はあまりであるかないが,友人がたくさん集まってきてくれるので淋しくない。

・70代女性,60代夫と2人暮らし。灘区で一部損壊。実家で母を看ながら5年過ごしたが,壊れたキッチンで家事をするのがたいへんだった。
今のご主人と再婚し,県営住宅に入居したが,家賃がたいへんだったので,何度も申し込んで,4年前にこの復興住宅へ。
趣味も多彩で,フラワーアレンジメントは,腕を活かして教えたりボランティアしたりしている。刺繍の作品は玄関周りにも飾っている。この他にも,子育て支援の有償ボランティアもしており,児童館に連れて行っている。ご主人は最近安定した仕事に就き,定年まであと2年勤められるとのことだが,訪問時は,お酒を飲んで休日を過ごされているところだった。

以上
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