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第538回 神戸お話伺いメモ 2011/9/24 [2011年神戸お話伺いメモ]

・70代女性,70代夫と2人暮らし。灘区で全壊。近くの原っぱに,家にあった食料をもってきて,テントを張って,5家族で生活した。娘婿が迎えに来てくれたので,自分一人でいったん西区に行ったが,夫が心配でテントに戻った。
3ヶ月ほどしたところ,神戸市から立ち退きを要求されたので「どうしたらいいのか?」と詰め寄った。おかげで東灘区の仮設住宅に入り,2年過ごした。
去年,腎臓を患うまでは,この復興住宅の自治会でお世話したり,東灘区にボランティアに行ったりしていた。

・60代男性,一人暮らし。尼崎市で全壊。罹災証明をもらうのが遅くなり,義捐金などは受け取れず,自力でアパートを探して入居。
ついで西宮の市営住宅で10年過ごしたが,呼吸器系の内部障害のため,酸素が手放せなくなり,エレベーターがなく4階まで階段で上るのもたいへんになったため,この復興住宅へ。
近隣とコミュニケーションが取りにくく,大気汚染や騒音で身体の調子がいっそう悪化しないか心配。2週間前「予告チラシ」を投函してから連絡を取ってこられ,訪問当日も私たちを出迎えてくださるなど,訪問を心待ちにしてくださった。

・70代女性,一人暮らし。中央区で一部損壊。高齢者向けの募集でこの復興住宅に入居したのは昨年。
40代で離婚して以来,最近まで,百貨店の販売員などの仕事を続けてきた。
震災直後,ライフラインが止まり余震の不安もあって,近くの公園で野宿のような避難生活をしていたところへ,北摂から娘夫婦が迎えに来て,一緒に公園のベンチで夜明かしした後,荷物を運んだり,片付けなどをしてくれたりした。包丁で左人差し指の先を切ったところ,神経を傷つけていて,左手にしびれが来るようになってしまった。

・70代女性,夫婦2人暮らし。中央区で全壊。当時働いていた夫が仕事に行けるような場所にある仮設住宅を申し込んでも当たらず,収入もあったため市営住宅にも当たらなかった。
灘区のマンションで5年過ごした後,この復興住宅へ入居。ここへ来てから夫が脳出血で倒れたが,奥さんがいたおかげで大事に至らず,今ではリハビリのおかがで歩けるようになった。

・70代女性,80代夫と2人暮らし。長く尼崎で総菜店を営んできたが,再開発に絡んで借金を背負わされ苦労した。
先にお父様が別棟に入居していたことから,自身も7年前にこの復興住宅へ。
肺を患っているご主人の介護をしながら,1日2~3時間,清掃の仕事をするほか,高齢者が多いこの復興住宅の棟の住民のための活動もしている。

・70代女性,一人暮らし。中央区で全壊。同区内の仮設住宅を経てこの復興住宅に入居して13年目。ここに来てしばらくして母を看取ったが,100歳を超えるまで世話ができてよかった。
読書が趣味で,同好の友人も多いと,楽しそうに話された。

・20代男性。東灘区で半壊。被災当時は小学生だったが,震災のことは鮮明に覚えている。近くの中学や高校で避難生活を送った。
この復興住宅には,一般募集で入居して3年,2人の子育て中。

・80代男性,夫婦2人暮らし。灘区で全壊。奥さんは元気だが忘れっぽくなって困っていると笑いながら,お話し伺いに応じてくださった。


以上
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