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第585回 神戸お話伺いメモ 2013/9/28 [2013年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は参加者6名でした。

・70才代女性。中央区で被災。半壊。入居9年。40分の訪問。神戸生まれだが、結婚して主人が炭鉱夫だったので軍艦島で生活していた。娘が一人、孫娘が一人いるが、なかなか遊びに来てくれない。手と足が痛いとこがあるが一人で頑張っている。足に金属が入っているので障害扱いを受けられ、老人ホームに行きたいと思っているが、出来れば近所の困った人のお手伝いをしたいとも言われた。震災のときは洋服ダンスが倒れ、ほほと耳のあたりを怪我したがと言われたが、ちょっと色が変わっていた。近所のボケた人を助けているが、手伝いに来た娘さんにお礼どころか「ボケた方が勝ちよ」と言われ、あぜんとしたことも・・・・。「軍艦島の話は始めてだ」と長崎出身者のメンバーの感想。

・70代男性「寄らないで下さい。耳も聞こえない、歩けないから」と書いてあり、昼寝中だった。

・70才女性。中央区被災。半壊。入居5年。30分の訪問。避難所には行かず、半壊だった垂水の姉の家に8年いました。身障者で入居しているが、前は少し仕事もしていた。辞めた後は、何か役に立つことがあればと勉強もしましたが、何もものにしてないのが悔しい。今では、自分ひとりで慎ましく生きていれば何とかなると、暑さ寒さに耐えていけたらいいと思います。一人で生きているので足が弱らないように歩いていると、頑張っている。一人である事を一つの力にされていると思った。

・80代女性。中央区で被災。半壊。入居3年。30分の訪問。入り口に棒を立てて、ドアを開けて下さいました。ここにくるまであちこちにいました。仮設には入っていません。5年ほど前にご主人を亡くされた。14人兄妹で今は5人残っている。8月21日にやっと退院されたとの事。左足をすごく切って、吉田病院、赤十字病院と3ヶ月づつ入院されていた。どうしてお怪我されたのですかと尋ねたところ、毛布に引っかかり、部屋の中でこけてしまい大怪我しましたよと言われた。72歳まで土方をされていて、主人が働かず娘1人、息子2人を育てるために必死で働きましたよ、ととても豪快な方でした。ペットボトルを2本頂き、見たところ”ドンと来い”と思うほど元気な方でした。

・70代男性。灘区で被災。半壊。出てきてくださいました。

・小学生くらいの女の子の声で「いいです」。

・70代男性。「朝から待っていたのにもう何も話さない」と言われた。

・80代女性。灘区で被災。全壊。10分の訪問。堺市の友達宅で弟と2ヶ月ほどやっかいになる。地震前から脳内出血で倒れる。血圧が高く、地震の時は薬が手に入らずに大変困った。ポーアイの仮設に3年くらいいたが、知り合いがいなくて困った。自分でライフに買い物に行く。

・80代男性。灘区で被災。全壊。30分の訪問。健康体。地震の時は姉の所に行く。怪我はなかった。押部谷の仮設に2年いたが、神戸市から遠く、大変困った。須磨区で生まれ、兵庫区の小学校で学ぶ。奥さんが今年の三月に亡くなり、今は一人住まい。60歳まで三宮で飲食店、寿司、割烹の店をしていたが、地震で店を閉める。父親が呉の軍港で働いていたので、昭和20年3月から8月まで呉にいた。その時、原爆に20キロ近くで遭遇する。そのお話が大変リアルでした。同級生の大半が亡くなった。昭和22年に帰神する。その当時はフリーマーケットの時代で、物品は統制の時代だった。15歳から寿司職人として見習いで入り、以来ずっと三宮で寿司屋などを経営。

・70代男性、インタフォン越しに「何もないばい」(九州のなまり)。

・ドアに紙がたまっていた。何も書いていない支援シートを持ってきたのみ。

・80代女性。灘区で被災。全壊。中学の避難所に5ヶ月、共同住宅に5ヶ月いる。ここに入居して15年。なかなか住宅にあたらなくて困った。長田区に長女、西区に息子、灘区に次女がいる。病院で乳がんの手術、日赤で心臓に人工弁を入れる。障害者手帳を持っている。きちんと座り1時間の訪問。

・70代女性。兵庫区で被災。20分の訪問。垂水区の仮設に1年ぐらい住んで、この住宅には2年前に入居。一人住まいだが、ケアマネが月に1回訪ねてくれるので助かる、と言っていました。

以上

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