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2011年神戸お話伺いメモ ブログトップ
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第530回 神戸お話伺いメモ 2011/5/28 [2011年神戸お話伺いメモ]

・60代男性,一人暮らし,兵庫区で被災。居宅は傾いたが,2階が,自分がいた1階の上に落ちてこなかったため,怪我もせず助かった。震災の数年前から寝たきりの同居人女性の介護をしていたが,避難した近くの公園でも,近所の人が助けてくれ,世間にはこんないい人がいると思った。この復興住宅に入居してからも介護を続け,一時はストレスから1升の酒を飲んで紛らわしたことも。4年前,同居人が亡くなったときには落ち込んだ。そうしたことから脳梗塞で半身不随になった。九州出身で,6歳で両親と離れ,孤児院で少年時代を送ったこともあり,たくさんの人のお世話になってきた恩返しにと,介護を引き受けたが,後は自分の人生を全うするだけ。予告チラシを見て気に入ったと,訪問を心待ちにされ,室内に入れていただいて,1時間あまりのお話し伺いに。

・60代男性,一人暮らし,中央区で半壊。両親宅は全壊で,父は,天井の梁が落ちてきて即死に近い状態だったが,近所の人の助けもあって,いち早く病院に運ばれたため,丁寧に扱ってもらえたのを感謝している。この復興住宅に入居して10年あまり。母(90代)は老人ホームにおり,時々様子を見に行っている。昨年脳梗塞で倒れ,1ヶ月ほど入院したが,倒れたのが12月28日で,幸運にもまだ病院が開いていたので自分には運がある。母のためには死ねないと,倒れたことはまだ言っていない。糖尿病を患っており,コンビニ弁当ばかりだった食生活を見直し,野菜をきちんと摂り,酢で味付けをするなどの工夫をし,適度な運動も心がけている。母が倒れたため59歳で退職し,60歳から年金をもらい始めたので,収入が少ないところに,入院費用や薬代が高く,生活は厳しい。テレビを地デジ対応にする費用も出てこないほど。

・50代女性,一人暮らし,長田区で被災。被害はほとんどなかったが,夫と別れ,子どもも自立したため,3年前にこの復興住宅へ。知り合いの高齢者が話を聞いて欲しいとよく訪ねてくる。ヘルパー養成の学校に通ったこともある。病気を患い,その治療を11年続けている。手術もしたが身体がしんどい。「気で生きている」。

・40代男性,一人暮らし,灘区で全壊。近くの小学校に半年間避難,4年間の仮設住宅生活を経てこの復興住宅へ。この復興住宅に移ってよかった。糖尿病を患っており,週1回ヘルパーさんに来てもらっている。障害のためか話し辛そうな中,お話し伺いに応じてくださった。東日本大震災に関しては津波の怖さが印象に。

・70代女性,兵庫区で被災。とくに被害はなく,水道・ガスも止まらなかった。仮設住宅には行かず,この復興住宅に入居して10年あまり。ここの住み心地は悪くない。息子と同居。亡き夫は外国航路の船員だった。自分は年金をもらっているので,贅沢しなければ生活に問題はない。

・60代男性,灘区で全壊。「ボランティア ご苦労様です。今はなにも話す事はありません。」と支援シートに自ら記入。

第529回 神戸お話伺いメモ 2011/5/14 [2011年神戸お話伺いメモ]

・20代男性,祖母(70代)と2人暮らし。祖母は元気で出かけているとのことであった。快くお話し伺いに応じてくれたが,阪神淡路大震災の時は幼かったため,何も覚えていない。

・80代女性。腰が痛くて立っていられないとのことで,「お大事に」と最後に言って,短時間でのお話し伺いに。

・70代女性。中央区で全壊。家から出てきたところに声をかけたが,病院へ注射に行くとのことで,エレベーターに乗るまで短時間のお話し伺いに。

第528回 神戸お話伺いメモ 2011/4/23 [2011年神戸お話伺いメモ]

・60代女性,一人暮らし。一部損壊のため公的支援は受けられず。子どもが成人した後夫と別れた。3年前まで病院に勤めていたが,待遇が悪く,精神的苦痛もあって辞めた。労働条件・待遇は年々悪化している。東日本大震災の被災者には,神戸では津波はなかったが被災した人は我々と同じと思う,としながらも,過剰な支援がかえって働く意欲を削ぐことになるのではとの厳しい見方も。

・80代女性,70代夫と夫婦2人暮らし。中央区で全壊。避難所暮らしはあまりせず,宮崎県営住宅を経て西区の仮設住宅で2年ほど過ごす。友人もでき,気が休まった頃にこの復興住宅へ。今は腰痛でままならないが,少し若い頃は,この階下で盆踊りの練習をして神戸まつりに参加していた。同じ仮設住宅にいた者同士でここに入居したかった。4月から家賃が徐々に上がる。ご主人は,訪問時風邪とのことだったが,普段は階下の花の世話を一人でしているとのこと。

・60代男性,夫婦2人暮らし。長田区で一部損壊。地震のとき,寝ていたところにグーという音がしてだんだん音が大きくなり,2~3分後に縦揺れがきた。背中に本棚が倒れてきて,奥さんに助けられた。芦屋で経営していた雑貨店が入っていたビルが全壊したが,住民票を置いていなかったため義捐金などは出ず。商品などを取り出して仮設店舗で営業した。行政は冷たかった。6年前に仕事を辞めた。人間が信じられなくなり,ストレスから網膜剥離になり,一時は目が見えなくなった。東日本大震災の被災者には,頑張ってとはいえない,人の気持ちと絆を考えて,相手のことを大切にしてほしいと。

・60代男性,一人暮らし。長田区で全壊。近くの小学校がいっぱいだったので須磨区の体育館に避難し,六甲アイランドの仮設住宅へ。震災のストレスで脳梗塞に。7回倒れたが,意識がなくなり全身が動かなくなることも2回あった。少しろれつが回らないので喋りにくい。今は病院が通いの日々。タバコと酒はやめていて,そのおかげで少し不自由ながら生活できている。右手が少し不自由で字が書きにくい。震災後はトレーラーに乗って全国を走っていた。後にタクシー運転手を10年。当時は知らなかったが,この復興住宅に同僚が住んでいて,まだ仕事を続けているようだ。東日本大震災の被災者には,頑張れとよく言うがどうしようもない,頑張れと言えない,と。

・60代男性,夫婦2人暮らし。長田区で全壊。全壊した文化住宅からは自力で脱出した。近所の人を数人助けたが,新聞配達中の人が倒れた家の下敷きになって逃げられず,そのまま焼死したのが忘れられない。娘の知り合いも亡くなった。近くの小学校に避難,現在介護職に就いている娘とともに避難者を世話するボランティアをしていた。ポートアイランドの仮設住宅を経てこの復興住宅へ。近所つきあいはほとんどない。この住宅で清掃活動をしていたら「お金をもらっているのでは?」と言われたので辞めた。現在は夫婦で大学の清掃の仕事に行っている。安くていいと,昼食を学食で食べることも。お金に困る,ため息ばかりつく,国民年金だけでは食べていけない。東日本大震災の時は,震度2で,蛍光灯のヒモが揺れたぐらいだが,阪神淡路大震災を思いだしたようだ。

・70代?女性。「ちょっとしんどいので…」と,インターホンで簡単に安否・近況確認。

・「何も話したく有りません。体も健康ではありません。ごくろう様です。」と自ら支援シートに記入。

第527回 神戸お話伺いメモ 2011/4/9 [2011年神戸お話伺いメモ]

60代女性,中央区で全壊。親戚が住む東灘区の市営住宅までほとんど1日歩いて向かったが,そこも住めず,その前にテントを張って5人で肩寄せ合って一晩中座っていた。1年後入居した仮設住宅は,冬は大変寒く,夏は格別な暑さの上に虫だらけ。ここで初めて支援物資をもらう。400世帯ほどあったが,自治会長さんがよくできた人だった。この復興住宅に入居12年目。自治会の仕事をしていて,話し好きで,コミュニケーションには困らない。食べていけるだけの年金はあるが,収入の1/3ほどまで家賃が上がることが不安で「家賃を上げないで」と何度も。被災時,水がいちばん不自由だったので,自分がもう少し若かったら,汲みに行けず家にいる人に届けてあげたい。東日本大震災の被災者に「がんばってくださいよ」と。

70代男性,一人暮らし。灘区で全壊。ポートアイランドの仮設住宅で4年過ごした後この復興住宅に入居して12年目。仮設住宅でもコミュニケーションが足りないと感じていたが,この復興住宅に来てから4人もの孤独死を見た。3度も隣近所と引き離されるなど,市の施策の冷たさを感じるが,初めてのことだったので仕方なかったのかも。今この復興住宅にもかなりの空室があるので,東日本大震災の被災者を受け入れてあげてもいいと思いながらも,神戸の時より待遇がいいのではとも。東日本大震災の被災者にはがんばれとしか言えないのだが,原発は人災ですよね…。

女性,一人暮らし。中央区で被災。足腰が痛いとのことで,玄関に出てくるのも時間がかかり立っているのも辛そうだったが,話すうちに表情も明るくなっていった。近所付き合いもうまくいかず,睡眠不足や高血圧で倒れたり,脚を捻挫したりして,食欲もなく,必要な通院も十分できず,最寄りのスーパーで買い物するのがやっと。身の回りのこともできなくなってきたが,他人をうちに入れたり,手伝ってもらったりするのに抵抗感が強い様子。初対面のボランティアとしては,傾聴を通じて,信頼関係を築き,抵抗感をやわらげてもらえれば,訪問した甲斐があろう。

70代女性,80代夫と2人暮らし。中央区で全壊。近くの高校に避難,仮設住宅に4年いた後この復興住宅へ。訪問時ご主人の散髪をしていた。足腰がわるく,右膝は手術の予定。2カ所の病院に通っている。

80代女性,一人暮らし。灘区で全壊。若い頃は見習い看護婦をしていて,戦中~戦後は満州に。戦後現地で結婚しともに帰国した夫は,この復興住宅で10年前に亡くなった。現在特に身体に悪いところはなく,ほぼ毎日大安亭にお茶を飲みに通っている。時代の流れに逆らわず生活しているとのこと。

80代女性,夫婦2人暮らし。中央区で全壊。島根県に5年ほどいた後,3~5回の抽選で当たってこの復興住宅へ。胃を全摘出していて少量のそうめんしか食べられない。外出も困難なのに地域の役員を12年続けてきた。玄関先のつぼみを膨らませた鉢植えの話題でなごむ。

40代男性。中央区で全壊。奥さん,不妊治療のおかげでようやっと授かった男女の双子と暮らす。訪問時は,この復興住宅で生まれ育っている子どもの友達が大勢遊びに来ていて賑やかな様子。運送業で夜の仕事だが,休みの前ということでお話し伺いに応じてくださった。被災後被害がなかった垂水区の実家に半年身を寄せてから仮設住宅に移り,この復興住宅へ。今特に困っていることはない。震災時に撮影していたビデオをいとこに貸したらなくされてしまった。子どもに阪神淡路大震災のことを話しても実感がわかないようだ。

(週末ボランティアでは、4月18日~20日の間、仙台から花巻の東日本大震災の被災地をまわり、この震災の被災者との接触のなかで、その活動可能性を見て参ります。)

第526回 神戸お話伺いメモ 2011/3/26 [2011年神戸お話伺いメモ]

60代、男性、妻と二人暮らし。中央区で被災。全壊。震災の時は山の方へと逃げた。視覚障害、ここに13年住んでいるが、知り合いが出来ないので詰らないという。ここでは“インターホン会話”だけだ。福祉に関するお金を貰えても安心できない。年金が減らされて生活が苦しい。仮設はポーアイ。仮設住宅での生活は良いものではない。なぜなら周りに仲間が居ないから。周りの人はどっから来ている人なのか分らない。挨拶もない。行政からの見回りもない。昔は田んぼの手伝いを良くしていたのだが。子供は3人、すでに結婚している。妻は今仕事。避難生活で欲しかったものは?着るもの、お金、食料(缶詰)との事。東海地震はもうすぐ来る。神戸は復興まで12, 3年かかった。東北は20年以上かかるだろう。東日本大震災は同じ震災を経験した者として胸が苦しい。頑張って下さいと神戸からエールをおくる。段々と話すうちに元気が出てきて、終わりは私たちと固い握手を交わした。

80代、女性、夫と二人暮らし。中央区で被災。半壊。避難所は一杯、食料の配給は来なかつた。お握りばっかり食べていた。水、電気、ガスはストップ。近くに井戸があってトイレはそれを使った。近くに蛇口5ヶ出来たのでバケツで汲みにいった。1ヶ月で電気復旧、2カ月で水・ガス復旧。ガスが通じてもお風呂が壊れていたので銭湯にいった。この震災で退職した。4月に家賃が上がる。あと2回上がり、最終的に3万位になる。
神戸で、空襲・水害・震災を全部経験した。その中で空襲が一番怖く辛かった。今回の東北の状況を見て、神戸での震災は「まだましだ」と感じる。17年前のあの年だから乗り切れた。津波は神戸の水害を思い出す。被災者どうしで励ましあおう。東北の復活を願ってやみません、とのメッセイジを頂いた。

第525回 神戸お話伺いメモ 2011/3/12 [2011年神戸お話伺いメモ]

80代男性,一人暮らし。中央区で全壊。ポートアイランドの仮設住宅で3年間過ごしたあと,この復興住宅へ。交通事故で妻を亡くしてから50年間一人暮らしなので慣れている。この4月からまた家賃が上がるので,今後が少し心配。脚に痛みがあり風呂に入るのが大変。交通費が面倒なものの,病院へは一人で行けるので,今のところはまだ幸せな方。

80代女性。須磨区で全焼。自分は外へ避難できて無事だったが,地震後間もなく家はきれいに焼けてしまった。

90代男性,一人暮らし。東灘区で全壊。ポートアイランドの仮設住宅を経てこの復興住宅へ。家賃が上がっていくのが困る。中国南部~台湾に兵隊に行ったこともあり,戦後神戸に来て若い頃から長く配管工をしていた。病気は特にしたことがない。脚がやや不自由で,時間をかけて出てこられ,棒に掴まりながら玄関口でお話し伺いに応じてくださった。何度も危ない目に遭っているが,外出には自転車をよく使う。8万円もした補聴器のボリュームを上げて使っていて,時々ビーッという雑音が。部屋はかなり綺麗にしている様子。普段話し相手がほとんどなく「早く死にたい」と思うこともあるが,時折近所の人が話しに来てくれる。

70代女性,50代男性。インターホン越しに女性の声がしてからしばらくして男性がドアを開け「母は今トイレに…」とのことだったが,安否確認程度のお話を伺う。

第524回 神戸お話伺いメモ 2011/2/26 [2011年神戸お話伺いメモ]

70代男性,一人暮らし。東灘区で全壊。1階の店舗では商品の自動車部品が散乱,2階にいた自分は何とか脱出したが「何もかもなくなった,グシャグシャ」。避難所に行ったら,仕切っている人が支援物資を公平に分配せず,その人間性に不信を覚えた。国道沿いだったので,食糧や支援物資を分けてもらうなど,通る人に助けられた。風呂屋がくみ上げている井戸から水をもらった。周囲で生き埋めになった人が多かったが,心臓が当時から悪く,助けてあげることができなかった。被災当時も一人暮らしで高齢者でもなかったため優先されず,この復興住宅に入るまで11回申し込んだ。ボランティア参加者みなでお部屋に上げていただいて,2時間にわたるお話し伺い。

90代女性,一人暮らし。中央区で被災。震災の前年にご主人を亡くした。震災時まで中央区で一杯飲み屋をしていた。息子の嫁や孫が時々訪ねてきてくれ,この復興住宅の申し込みも嫁がしてくれた。食事は1日1~2回来てくれるヘルパーさんにしてもらっている。月に1回往診を受けている。寒いからと,玄関の中に入れていただいてのお話し伺いに。

80代女性,弟と2人暮らし。灘区で全壊。近くの小学校に避難したが,情報が入ってこないので高校の避難所へ。ポートアイランドの仮設住宅ではネズミがたいへんだった。この復興住宅へは同じ仮設住宅で過ごした人も一緒だったが,一人一人減っているので寂しい。

70代,一人暮らし。中央区で全壊。地震の時は仕事に行っていた。近くの中学に避難した後仮設住宅で4年4ヶ月過ごし,この復興住宅へ。転倒して鎖骨を折っている。

50代女性,夫と2人暮らし。灘区で被災。一旦尼崎に家を借りたが,灘区内の仮設住宅で長く過ごした後この復興住宅へ。震災時軽いケガで済んだと思ったが脊髄圧迫と解り,松葉杖1本が必要に。仮設住宅で知り合った今の夫と知り合ってからは,うまくいっている。つえをつかれてとてもさばさばとした笑い声をあげ、明るい人でした。

60代女性,夫と2人暮らし。長田区で全壊。灘区の実家は水道関係の仕事をしていて,商売道具が,すぐ後ろにまで迫っていた火を防いだり,近くの川から生活用水を確保するなどで役立った。灘区で家を借りたが,近隣の酒造工場の熱気で暑く間もなく引っ越し,この復興住宅へは早くに入居。夫は糖尿病で入退院を繰り返し,訪問時は人工透析から帰ってきて寝ていた。

男性。風邪とのことで,安否確認程度の短時間のお話し伺いに。

70代夫婦2人暮らし。中央区で被災。尼崎に避難した後この復興住宅へ。仮設住宅にはあたらなかった。2人の年金で暮らす。風呂の据え付けの仕事をしていたご主人は,震災後忙しさのあまり脳梗塞を患う。毎日笑顔でいたいという奥さんはカラオケ好きで,本やテレビで覚えた運動をしたりしている。

第523回 神戸お話伺いメモ 2011/2/12 [2011年神戸お話伺いメモ]

70代女性,一人暮らし。中央区で半壊。震災時から一人暮らし。ケガもなく助かった。この復興住宅へ入居して10年以上で,近隣とのコミュニケーションに努め,玄関前の通路でよく話しているが,それを向かいの棟の住民から覗かれているように思われると苦情を言われたこともある。1年半ほど前に近所の方が飛び降り自殺したときのことを話してくれた。

60代女性,一人暮らし。中央区で半壊。身体が不自由であまり働くことができず,住居の確保に難儀した。この復興住宅に入居して3年目。年金は増えないのに家賃が上がってのが不安。ガスはいっさい使用しない。私たちの訪問を,早くから玄関前に出て待っていてくださった。

80代女性,一人暮らし。返事がして、しばらくしてドアが開き、「字も読めず、話すこともないが」と言われたが、「お話を伺いたいのですが」と言うと、家に上げてもらい、お話を伺った。中央区で半壊。地震の時,猫が知らせてくれたのか,布団をかぶったところ揺れがきて,戸棚が倒れてきたが助かった。避難所に入らず,一時身を寄せた身内の家も居心地悪く,程なく半壊のアパートに戻る。しかし福祉の人もそのアパートは湿気で「体がわやになる」といわれてやっと3年前この復興住宅に入居するようになった。今でも毎日そこの2匹の猫に餌をやりにそのアパートに通う。これが良い運動になる。雨のにも風の日も休んだ事が無い。胃を手術して3分の2とっている。ここに越してくるとき、箪笥やみずや、大きな冷蔵庫などみな捨てた。本当に生活上必要最低限の物しかなく、ひっそりとした生活ぶりだった。今は2合炊いて食べている。健康だ。別に悪いとこはない。暖房もいれずに厚着をして頑張っておられ、元気のいいお母さんに、何時までもそのままでと願ってお別れをした。

70代男性,一人暮らし。中央区で半壊。経営していた店も被災したが,半壊の家に何とか住んだ。当たった仮設住宅(北区)があまりにも寒く住めなかった。この復興住宅に入居して10年以上だが,仲間を募って一人暮らしの高齢者を訪ねたり,近くの中学生に非常用水の使い方を教えたり,また遠方の中高生と被災者とが交流を持つ仲介をしたりといった活動をしている。

第522回 神戸お話伺いメモ 2011/1/22 [2011年神戸お話伺いメモ]

90代女性,中央区で半壊。震災前にご主人を亡くし一人暮らし。この復興住宅へは10年前の申し込みで入居。ヘルパーさんを頼もうと思っていたが人に気を遣うより一人の方が気楽。家賃がまた上がって生活も苦しく、化粧品も買えないとボヤいていた。背筋も伸びてしっかりした様子で,若い頃の仕事の話しをされた。息子さんが2日に1度訪ねてきてくれるので何も心配はない。この日もそれに備えて冷蔵庫にケーキを入れていた。腹部に病気があるが,薬で済ませている。今日もその帰りだ。お部屋にあげていただいて40分にわたってお話しを伺ったが,訪問当日がちょうど誕生日だったので,最後にハッピーバースデーを歌ってお祝いした。こんな風な出会いと歌も、また初めてであった。
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