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2011年神戸お話伺いメモ ブログトップ
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第544回 神戸お話伺いメモ 2011/12/24 [2011年神戸お話伺いメモ]

・80代女性,夫婦2人暮らし。灘区で全壊。被災当初は市内の息子さん(今も時折この復興住宅へ来てくれている)のもとに避難したが,程なく県外へ。
仮設住宅はポートアイランドだった。夫婦ともにお元気で,ご主人は今も車の運転をしている。
「生きている以上は人のために何かしたい」と,ボランティア活動をしたことも。ご主人は今もしているという。

・60代女性,一人暮らし。東灘区で全壊。区内の公園で避難生活を送った。故郷の親戚から送ってもらった米を炊き出しに供出して配ったりした中で,大学生のボランティアが組織だって動いてくれて助けられたりした。震災後に職を失わずに済んだことから,仕事が何より大切と,最近まで長く製造業で働いてきた。男子高校生も同じ職場にいたとのことで,身体にはきつかったのか,震災以来の負担も相まって,腰や肩を痛め,たくさんの湿布を貼っている。
避難生活で行政の的確な対処が行き届かず,「自助努力」を強いられた経験から,「力のない人は何年かかってもはい上がれない」と,痛切に感じた。また,「東日本大震災に比べれば,阪神淡路大震災はまだマシ」との思いも。

・男性。「都合が悪いのでお断りします」と,メモを貼り付けて外出。帰宅されたところに出会い,あいさつなど交わす。

・男性。「今日は元気がない…」とのことで,安否うかがいのみ。

・「しんどくて,もの言うのもイヤ」とのことで,安否うかがいのみ。

第543回 神戸お話伺いメモ 2011/12/10 [2011年神戸お話伺いメモ]

・70代女性,夫婦2人暮らし。中央区で全壊。西区の仮設住宅を経てこの復興住宅へ入居して11年。これまで何度かの訪問で,ボランティア参加者とも親しくされ,神戸・週末ボランティアの行事にも参加されている。
「何人死にましたか?」などと,「死」という言葉は,胸に刺さるので,使わないでほしい。(東日本大震災もふくめて) 被災者に「お元気ですか?」,「よかったですね」といった言葉をかけてくれるとうれしい。
漠然と「話を聞かせてください」よりも「一緒にお話ししてくれませんか」とか,具体的に「何か教えてください」と言われた方が話しやすい…。この日の訪問では,被災者として体験を語ってきた立場から,お話し伺いに臨むボランティアへのアドバイスや意見をいただいた。

・70代男性,北区で被災。停電や断水はなかった。家が古くなったので,昨年夏,県営住宅を申し込んだところ,1回で当たって,この復興住宅へ。家賃も安く,何も言うことはない。
化学関係の会社を退職し,今は年金生活。時間をもてあまし図書館に通っている。ボランティアにも感心がありそう。

・50代女性,東灘区で全壊。近くの小学校に2~3日避難した後,大阪の親戚宅のマンションで1ヶ月ほど過ごした。足腰を痛め車いす生活だが,内蔵などに悪いところはない。

・90代女性,東灘区で全壊。北区の仮設住宅で4年間過ごした後,この復興住宅へ。身体はどこも悪いところはなく,血圧も安定している。食事も掃除も自分でしている。週4回ほどゲートボール (公認ジャッジの資格も持っている) に行っており,これが元気の源のよう。

・女性。この復興住宅に入居して2年,ここで2人の子どもが生まれ,子育ての最中。インターホン越しに近況をうかがう。

・「何も云うことはありません。ごくろうさんです。」と,自ら支援シートに記入。

第542回 神戸お話伺いメモ 2011/11/26 [2011年神戸お話伺いメモ]

・70代女性,東灘区で全壊。被災時は6時間生き埋め状態だった。北区の仮設住宅を経てこの復興住宅へ入居して10年以上。「入居の時も,北区の仮設住宅からここまで,ボランティアの方々が助けて下さって,本当に有り難かったです。神戸だから,はじめて,ボランティアの基礎が固まって,人々を,今たくさん助けて下さっているのに,心から有難うといいながら,神戸に住んでいて,誇らしく,感謝しながら,生きて居ます…」と,手術後の不自由な手で支援シートに記入し,リハビリにいかれたため,お話し伺いはできず。(留守宅に投函する「留守シート」に,感謝とともにもっと暖かな言葉を添えればよかったと反省。)

・70代女性。西宮市で全壊。夫が退院して1年ほどで被災。大阪へ避難しているときに夫を亡くし,被災した家の取り壊し費用を負担したままに。大阪も気に入っていたが,子どもたちがこの復興住宅へ入れるように申し込んでくれていたので,神戸にきた。明日は子どもや孫たちと墓参りに行く予定とのこと。先端医療センターのおかげで早期発見早期治療ができた。

・70代男性,一人暮らし。中央区で全壊。壊れた家にしばらく住んでいたが,取り壊すことになり,近くの学校の避難所へ行き1週間過ごす。ポートアイランドの仮設住宅で3年あまり過ごし,この復興住宅へ。ここにはずっといられそうで安心している。一人暮らしが長いので,人が訪ねてくると緊張し,人と話していると息苦しく感じる。

・80代男性,夫婦2人暮らし。中央区で全壊。避難所では中心になって世話をしている人が支援物資を横流ししているのを眼にした。仮設住宅に5年近くいた後この復興住宅へ。自治会長をしていたとき,近隣の人に電話番号を教えたら金を貸して欲しいとの電話が相次いで困った経験から「あまり入り込んではダメだ」と。「年寄りは生きていたらあかんのか!?」と,政治への不満をもらす。階下で私たちの到着を待っておられ,そのままお話し伺いに。

・80代女性,一人暮らし。中央区で半壊。近くの学校の避難所で5ヶ月ほど過ごした。この復興住宅へは竣工当初から入居。夫は震災前に亡くした。駅で新聞を売る仕事をしていたが,震災のために中断したのは1ヶ月間ぐらいだった。近くに住む息子さんが時折やってきて,夕食を共にしたり,泊まっていったりする。あまり病気はしておらず,不自由もない。お部屋に上がらせていただいてのお話し伺いに。

・70代女性。中央区で全壊。神戸で自立して生きていかねばと,食べ物の仕事に。はじめはパートであったが,勤め先を変えながら仕事を覚え,商店街で自分の店を開くに至った。店内はいつも満席状態の繁盛ぶりで,最盛期には6人もの男性従業員を雇った。そうした面白いように店が廻っていった,忙しかった頃が懐かしい。私たちが来意を告げると,歩くのに不自由を覚えるなかで,時間をかけながら玄関まで出てこられて,お話し伺いに応じてくださった。

・男性。「(夕食の準備で)火を使っているところなので」と,短時間で切り上げ。

・女性。若いので(震災のことは)解らない。

第538回 神戸お話伺いメモ 2011/9/24 [2011年神戸お話伺いメモ]

・70代女性,70代夫と2人暮らし。灘区で全壊。近くの原っぱに,家にあった食料をもってきて,テントを張って,5家族で生活した。娘婿が迎えに来てくれたので,自分一人でいったん西区に行ったが,夫が心配でテントに戻った。
3ヶ月ほどしたところ,神戸市から立ち退きを要求されたので「どうしたらいいのか?」と詰め寄った。おかげで東灘区の仮設住宅に入り,2年過ごした。
去年,腎臓を患うまでは,この復興住宅の自治会でお世話したり,東灘区にボランティアに行ったりしていた。

・60代男性,一人暮らし。尼崎市で全壊。罹災証明をもらうのが遅くなり,義捐金などは受け取れず,自力でアパートを探して入居。
ついで西宮の市営住宅で10年過ごしたが,呼吸器系の内部障害のため,酸素が手放せなくなり,エレベーターがなく4階まで階段で上るのもたいへんになったため,この復興住宅へ。
近隣とコミュニケーションが取りにくく,大気汚染や騒音で身体の調子がいっそう悪化しないか心配。2週間前「予告チラシ」を投函してから連絡を取ってこられ,訪問当日も私たちを出迎えてくださるなど,訪問を心待ちにしてくださった。

・70代女性,一人暮らし。中央区で一部損壊。高齢者向けの募集でこの復興住宅に入居したのは昨年。
40代で離婚して以来,最近まで,百貨店の販売員などの仕事を続けてきた。
震災直後,ライフラインが止まり余震の不安もあって,近くの公園で野宿のような避難生活をしていたところへ,北摂から娘夫婦が迎えに来て,一緒に公園のベンチで夜明かしした後,荷物を運んだり,片付けなどをしてくれたりした。包丁で左人差し指の先を切ったところ,神経を傷つけていて,左手にしびれが来るようになってしまった。

・70代女性,夫婦2人暮らし。中央区で全壊。当時働いていた夫が仕事に行けるような場所にある仮設住宅を申し込んでも当たらず,収入もあったため市営住宅にも当たらなかった。
灘区のマンションで5年過ごした後,この復興住宅へ入居。ここへ来てから夫が脳出血で倒れたが,奥さんがいたおかげで大事に至らず,今ではリハビリのおかがで歩けるようになった。

・70代女性,80代夫と2人暮らし。長く尼崎で総菜店を営んできたが,再開発に絡んで借金を背負わされ苦労した。
先にお父様が別棟に入居していたことから,自身も7年前にこの復興住宅へ。
肺を患っているご主人の介護をしながら,1日2~3時間,清掃の仕事をするほか,高齢者が多いこの復興住宅の棟の住民のための活動もしている。

・70代女性,一人暮らし。中央区で全壊。同区内の仮設住宅を経てこの復興住宅に入居して13年目。ここに来てしばらくして母を看取ったが,100歳を超えるまで世話ができてよかった。
読書が趣味で,同好の友人も多いと,楽しそうに話された。

・20代男性。東灘区で半壊。被災当時は小学生だったが,震災のことは鮮明に覚えている。近くの中学や高校で避難生活を送った。
この復興住宅には,一般募集で入居して3年,2人の子育て中。

・80代男性,夫婦2人暮らし。灘区で全壊。奥さんは元気だが忘れっぽくなって困っていると笑いながら,お話し伺いに応じてくださった。


以上

第537回 神戸お話伺いメモ 2011/9/10 [2011年神戸お話伺いメモ]

・80代男性,夫婦2人暮らし。中央区で全壊。大阪の妹宅に一時身を寄せたが,同区内の民間アパートで8年過ごした後,この復興住宅へ。
普段の買い物は奥さんが。警察に40年勤め,主に交通違反者の処分に関する仕事をしていた。
7年前,顔の筋肉が化膿し,手首の筋肉を移植した。そのため,話すのもたいへんな中,お話し伺いに応じてくださった。

・80代・50代女性,宝塚市で被災。タンスが倒れてきて頭に当たり,14針縫うケガを負い,怖い思いをした。
当時居住していた県営住宅は倒壊せず,ガス・水道・電気もすぐに復旧し,仮設住宅にも入らなかったのは,不幸中の幸いだった。
職場にも復職でき,生活には困らず今に至っている。(自身で支援シートにご記入)

・40代女性。震災時は北区。高校生の子どもが2人おり,上の子はこの日も自宅で受験勉強中。同じ復興住宅に父親がいるため,何度も申し込んで,3年前に入居。

・女性。2週間前,予告チラシを投函した際にお目にかかったところ,フラッシュバックであろうか,東日本大震災以来,血圧が上下してしんどいとのことだった。今回,体調を尋ねたら,「前よりは少し元気になった。薬たくさん飲んだから。出かけなあかんし…。」と,出がけにお話し伺い。

・女性。東灘区で全壊。震災時は仕事の関係で奈良にいたが,かなり揺れた。テレビを観て神戸がたいへんなことになっていることを知り,在宅していた息子を心配した。
ポートアイランドの仮設住宅を経てこの復興住宅に入居して13年目。膝が悪く歩くのがたいへんと,インターホン越しにお話し伺い。

・80代女性,一人暮らし。灘区で全壊。文化住宅の2階にいたので自分は大丈夫だったが,階下の住人は亡くなった。身内のもとや近くの高校の避難所に身を寄せた後,ポートアイランドの仮設住宅に4年過ごし,この復興住宅に入居して13年目。
夫は,阪神淡路大震災の前年に亡くなったが,震災を知らず幸せだった。震災の時まで,Yシャツの縫製の仕事をしていて,7人ぐらいの女性を雇用して,百貨店などに納めていた。息子が月に1回は訪ねてきてくれる。今はあまりであるかないが,友人がたくさん集まってきてくれるので淋しくない。

・70代女性,60代夫と2人暮らし。灘区で一部損壊。実家で母を看ながら5年過ごしたが,壊れたキッチンで家事をするのがたいへんだった。
今のご主人と再婚し,県営住宅に入居したが,家賃がたいへんだったので,何度も申し込んで,4年前にこの復興住宅へ。
趣味も多彩で,フラワーアレンジメントは,腕を活かして教えたりボランティアしたりしている。刺繍の作品は玄関周りにも飾っている。この他にも,子育て支援の有償ボランティアもしており,児童館に連れて行っている。ご主人は最近安定した仕事に就き,定年まであと2年勤められるとのことだが,訪問時は,お酒を飲んで休日を過ごされているところだった。

以上

第536回 神戸お話伺いメモ 2011/8/27 [2011年神戸お話伺いメモ]

・男性,留守番です,と言う事で最後に回ると「入院です」との事でした。

・70代女性,東灘区で全焼。震災時は,朝5時からの仕事で,六甲アイランドにある勤め先の店屋にいた。避難所が行政が認めた避難所でなかったため,次々と移動させられた。同じアパートにいた身体障害者の住人と一緒に移動したことも。
やっとのことで垂水区の仮設住宅へ。被災時に気づかないうちに強打していた後遺症であろうか,背骨を痛め(脊椎狭窄症),要介護2の通院を続けており,今日も病院に行ってきた。
重たいものは持てない為、週1回ヘルパーさんには買い物とかの支援に来てもらっている。
はじめは声も弱弱しかったが、次第に元気になり、最後には「頑張って下さい」「暑さを持って行って」などと言い、握手をして別れた。

・女性。「(東日本大震災以来,阪神淡路大震災のことを)思い出すのが辛く,話したくない」と,インターホン越しに。
今とくに困っていることはないとのことだが,健康状態を尋ねるとやや声の調子が下がった。

・「忙しいので…」とインターホンを通じて応答するも,安否確認程度のお話ししか伺えず。(3軒)

・支援シートに「お断りします」と大書して貼り付けた玄関ドアは,風通しのため少し開いていた。                               

以上

第535回 神戸お話伺いメモ 2011/8/13 [2011年神戸お話伺いメモ]

・70代男性。一人暮らし。中央区で全壊。被災当時は母と妻との3人暮らしだったが,この復興住宅に入居する前に相次いで病気で亡くした。
ポートアイランドの仮設住宅を経て,ここに入居して12年目。震災からしばらくした頃,糖尿病のため仕事を続けられなくなり,現在は生活保護で暮らす。
3年前,脳梗塞で倒れたが,素早く自分で医者に連絡した甲斐があって,軽くて済んだ。足や手もリハビリの成果と努力で回復し,来てもらっていたヘルパーも不要になるほどに,自立生活している。通院や買い物のため外出して運動し,食事療法に気を遣うなど,健康維持に努めている。

・40代男性。東灘区で全壊。両親と3人で住んでいた,3階建てのマンションの1階がつぶれて2階建てのようになり,5人亡くなった。近くの公園内に建設中の施設を避難所代わりにして過ごした後,同区内の仮設住宅を経て,この復興住宅に入居して12年目。
バリアフリー化された部屋だが,軽度の障碍者が自立生活するには便利だが,介助する立場から不便を感じるところが多い。お盆にあわせて介助施設から帰宅する母を迎えるため在宅していた。
長距離トラックの運転手を20年していて,うちにいることは非常に少ない。阪神淡路大震災の時は,舞鶴で激しい揺れに遭い,やがて神戸が震源らしいことを知り,火の手が上がっているのを見るや「帰る家がなくなった」と思った。支援物資の輸送も手がけ,中越地震の被災地にも行ったことがある。
8日に東日本大震災の被災地,宮城県女川町に行ったら,津波で流されていて「何(なん)もあらへん」,「神戸よりひどい」。3月11日の東日本大震災の時はポートアイランドにいたが,人工島で地盤がゆるいせいか,かなり揺れた感じがした。

・70代女性,一人暮らし。中央区で全壊。震災前に夫を亡くし,子どもも1人は独立していたので,震災時は母子2人暮らしだった。近くの公園で炊き出しを手伝うなどしたが,早くに公営住宅に入居できたので,仮設住宅には入らず。震災の時は布団の中でふるえていたが,上から落ちてきた物に足を挟まれ,動けずにいたところ,息子さんが引き出してくれた。何日かして挟まれていたところが変色してきて,現在も痛みが。調理師の仕事を今も続けながら,この復興住宅に入居して10年,3食しっかり食べるのが元気のもとと,一人暮らしを続けている。東北の事については三重苦でかわいそうと、心からおっしゃってました。

・男性。今年家族を亡くし初盆を迎えた。悲しみで話しをするような気にならない。と落ち込んでおられた。

・男性。今日はすまないが話をする気分ではないといわれた。

以上

第534回 神戸お話伺いメモ 2011/7/23 [2011年神戸お話伺いメモ]

・80代女性,中央区で被災。自宅は大した被害はなく,そのまま住める状態だったが,近くの小学校に避難。7回申し込んでこの復興住宅へ。入居8年目。いつも友人や姪がきてくれる。足がやや不自由とのことで,インターホンを鳴らしてからしばらく時間が経ってから玄関に出てこられ,元気な様子でお話し伺いに応じてくださった。週1回ヘルパーにきてもらっているが他に身体の具合が悪いところはない。節電のため,エアコンを使わないようにしていたら,気分が悪くなったことも。

・40代男性。結婚前の妻が灘区で被災していたが,自分は阪神淡路大震災のことは解らない。訪問時は夜勤明けで寝ていたところを,インターホンで起こされたとのことで,たいへん眠そうな様子だったので,手短にお話しを伺った。

・70代男性,一人暮らし。中央区で被災。この復興住宅へ入居して10年。足をはじめ身体は悪い。近くのスーパーへ行って,食事は自分で作っている。(事情は解らないが)後2年半でこの部屋を出なければならないと市から言われているとのこと。

・男性。インターホン越しに「自分は大丈夫です」との返答。障碍者で,家族の留守中に誰が来てもドアを開けないように言われているとのこと。

・女性。インターホン越しに「体調崩して休んでいる」とのこと。

・女性。インターホン越しに,多忙とのこと。(2軒)

・投函した予告チラシの「ご都合が悪いときは,どうぞお断り…」に赤線を引いて,不在の旨お知らせいただいた。

第532回 神戸お話伺いメモ 2011/6/25 [2011年神戸お話伺いメモ]

・60代女性、支援シートでのご返答を下さいました。兵庫区にて被災。自宅は全壊で、12年前に現在の住居へと入居した。入居当時と特に変わることもなく、幸福な生活を営んでいるとのことで、幸いでした。ボランティアに対し、感謝の言葉を述べていました。

・60代女性、夫婦二人暮らし。中央区にて被災。自宅は全壊でしたが、家族は無事であったそうです。あちこちの避難所を四カ月ほど転々とした後、北区の仮設へとようやく入居したとのこと。現在の住居へは12年前に入居。前年に母を亡く、子供達も現在は独立し、生活は特に不自由もなく、三人のお孫さんにも恵まれ、元気に過ごしているとのことです。

・80代男性。中央区にて被災。仮設はポーアイ。ここには入居13年。鼻にチューブを付けており、心臓が悪いということでしんどそうだったので、礼を言い、早々に引き揚げました。

・80代女性、灘区にて被災。近くの小学校へと避難したが、西区の仮設住宅に入るのに4ヶ月かかったそうです。仮設には平成11年までいました。お子さんは息子さんが1人に娘さんが3人で、現在は息子さんと2人暮らし。娘さんたちはお孫さんの世話に忙しく、以前ほど会いに来てくれなくなったとのこと。スーパーへは良く買い物へと行くそうです。現在の近所の人とは余り付き合いがないが、友人が2~3人いるので寂しくは無いとのこと。心臓が弱く、時々病院へ通っていたり、家賃は上がったりということはありますが、概ね幸福な生活であるとのことです。東日本大震災の被災者の事を心配しておられました。

・70代男性、中央区の友人宅にて被災。新居へ入居の寸前に被災し、新居は全壊したそうです。震災後はしばらく友人の家にいたが、間もなく現在の住居が抽選で当たったとのこと。現在入居15年ほどとのことです。若い頃に北海道より上京し、公務員をしていたが、生来のケンカ速さで早期退職し、それから職を転々として被災当時は港で船大工の仕事をしていたそうです。現在は年金生活で、今年の4月に家賃が5000円上がり、生活が苦しくなったとのこと。健康状態は飲みすぎで胃がやや悪いのを除けば健康とのことでした。お酒は減らしたいが、中々減らせないと言っていました。友人が風呂場で倒れ亡くなる等で、普段の人づきあいが希薄だったとのことで、ボランティアの訪問をとても喜んでくれ、とても厚くもてなしてくれました。ケンカ早いと自称していましたが、印象としては明るく優しい感じの方で、また自分で料理をしたりと多趣味な面も持ったとても素晴らしい方でした。

・男性。インターホン越しにて返答の、元気にしているが、ご都合の為出られませんでした。

・60代女性,東灘区にて被災。娘と二人とも働いており特に生活に不自由はしていないとのことでした。

・女性。ドアより少し顔を見せてくださいました。元気で、来ていただけて有難いとのことでした。

第531回 神戸お話伺いメモ 2011/6/11 [2011年神戸お話伺いメモ]

・60代男性,一人暮らし。中央区で全壊。被災当初は屋内にいるのが恐ろしく,車の中や公園で3ヶ月過ごした。ポートアイランドの仮設住宅にいた頃に離婚,この復興住宅へ入居して13年目。仮設住宅ではいやなことが多かった。今もいやなことはあるが相手にしない。昔はリサイクルや解体などの仕事をしていた。いくつも病気をし,今も椎間板ヘルニアで腰が痛い。酒やタバコは止めている。料理も上手になって,近所の90代女性につくってあげたことも。今一番楽しいことは喫茶店に行くこと。オーナーが大切にしてくれるので1日1回はそこまで通っている。神戸ルミナリエは一部地域だけで盛り上がっているが,全体で盛り上がれるようなことをすべき。神戸と同じく,今の東北の被災地でも人間が復興していない。

・80代女性,一人暮らし。北区で一部損壊。前夜から泊まり込んでいた建設会社の倉庫で被災,資材が散乱したが,脚立を使って2階から出入りした。同区内の自宅では水道管が破裂して水浸しになったため,被災時にいた倉庫でしばらく生活した。こちらもガス・水道は止まったが,敷地内の井戸が飲み水にできたので,それほど不自由はしなかった。自宅は市営住宅なので,市に修理を依頼したが,何もしてくれず,自分で業者に頼んで修理した。その住宅が建て替えになるので,2年半余り前にこの復興住宅へ。当初3年で戻れると聞いていたが,建て替えは進んでおらず,いつ戻れるか解らない。本来据え置かれるはずの家賃も上がっている。永年いろいろな方のお世話をしてきた。私たちの訪問活動でもお世話になっている住民の方が,自室で倒れかけたところをこれまで何度か助けてきたが,救急車で運ばれたのを見て以来,ずっと心配していた。

・70代男性,一人暮らし。兵庫区で全壊。ポートアイランドの仮設住宅で4年過ごし,兵庫区内の県営住宅に1年住んだ後,この復興住宅へ。5年前に奥さんを亡くす。建築関係の仕事を退職した後,定時制高校に入学,3年修了。クラスメートが今も話し相手に。カラオケ,麻雀,グランドボール,将棋などが趣味で,身体はとくに悪いところはなく,困ったことはない。

・60代女性,中央区で全壊。この復興住宅へ入居して13年目。帰宅されたばかりのところだったが,「今はまだ健康です。この先体が悪くなった時が心配です。なやんでもしかたがないので今はがんばって生きて行きます。ありがとうございます。」と自ら記入された支援シートをもとにお話し伺い。
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