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2013年神戸お話伺いメモ ブログトップ
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第579回 神戸お話伺いメモ 2013/6/22 [2013年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は新人1名を入れて参加者8名でした。

・70代、女性。留守シートに書かれていた。中央区で被災。一部損壊(20%以下)。入居半年。ご苦労様です。高い志しに感服いたします。我々は、おかげさまで、人的損傷、火災被害等も無く、電気、ガス、水道の不便と、家財がかなりダメージを受けました。今は何とか過ごしております。まだ(年令相応に体力の衰えは感じますが)日々の生活はやっていけます。むしろ出来ることならお手伝いをしなければいけないのでしょうが、些少ながら仕事を持って居ります。相すみません。お体に気をつけ下さって、ご活躍下さい。

・70代、女性。東灘区で被災。全壊。入居11年。被災後、小学校に行ったが満員のため、他の小学校で避難生活。3ヶ月までは覚えているがとおっしゃった。10人ぐらいで1500人分をお世話させていただきましたよ、と明るくお話された。ご主人が去年亡くなって、昼間はいいが夜はとても淋しく感じるけどと言われ、明るく日々を送ろうと思っているとお話された。「笑っても一日、泣いても一日」としっかり話してくださった。震災でご主人が背中に15針も縫う怪我をされたことも淡々と話して下さった。ゆうあいボランティアをしていて、この棟の方々とは交流を持ち、5人でお茶会を催したり、何かしらイベントを計画されているが、仮設でのもらいぐせがついている方々が多くて、「無料なら行くけど、お金払ってまでは行かない」と断られることもしばしばあるそうです。前向きな明るい方でした。「お疲れさま、頑張ってください」と反対に励まされました。ボランティアをされている方らしく、とてもお話が上手な方で、元気を頂きました。

・50代、女性。ゴミ袋を2つ持って、「今から出かけるのでごめんなさい」とのこと。

・最近越されて来た方で震災とは関係が無い人。「よくわからないのでごめんなさい」

・留守電に今日、寄せていただいた旨を入れえておいた。

・50代女性。すぐに出てこられたが、昼も夜も働いていて、忙しいので結構ですと言われた。

・60代か70代の男性が奥の部屋で横になってられるのがドアの隙間から見えたが、来意を告げても動かれる様子が無く、失礼した。

・50代男性。○○通で被災。全壊。と留守シートに書かれていた。

・80代男性、一人暮らし。糖尿など体中が悪い。杖で歩いている。県や市は80才とか85才で住宅を出るように言って、説明会を開くけど、申し込みに3戸の候補を書いて印押して出したら、一番悪い所に当てられて、出て行かなくてはならなくなるから、自分は説明会にも行かないし、申込書も破る。5年も前から何で出て行くことを考えなあかんねん。それまでに死ぬ。震災よりも戦争のほうがこわかったから、地震なんて、何のことない。過ぎたことはもうええやん。次にこの辺に地震がきたら、市も国も金ないのにどうしろいうねん。

以上

第578回 神戸お話伺いメモ 2013/6/8 [2013年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は新人1名を入れて参加者7名でした。

・40代男性。40分のお話。昨年の8月に入居。公団入居。灘区の6棟続きの木造に住んでいた。半壊。当時、母親と二人暮らし。今はこの家に母だけが住んでいる。震災後、姉の所に2、3日いて、姉の実家に3ヶ月いた。震災の時、豆腐屋は早朝で火を使い、家事になった。電気が初めに通じたが、通電の時に火災がおこった。震災の時は、りんご1個と水の配給だけだった。通信会社に勤めていて、東京、広島、そして又神戸に転勤になった。近所付き合いはあまりない。まだ更地が多い。歯抜けの土地もある。そのままのとこもある。震災復興はまだまだだ。新長田など再開発のことも話題になり、いろんな話になった。若い人の割にはよく話しをしてもらえた。東北の話にもなった。話題が豊富である。

・女の子だけ。安否のみ。

・40代女性の声で「すみません」と安否のみ。

・60女性。「少しの時間だけ働いていますので、家にはいません。今の所、何も心配はいりません。ありがとうございます」と留守シートに万年筆できれいな字が書かれていた。

・30代男性。10分の訪問。東灘区で被災。全壊。兄以外の3人が家の下敷き。近所の人に助けてもらう。今はよくなったが、3人とも圧迫され怪我したという。胸まで赤銅色で真っ赤に日焼けした、健康そうな青年でした。震災当時中学生。公団入居。入居10年。家賃10万円。去年、お母さんが亡くなった。今時、珍しい感じのいい青年でした。

・50代女性、入居1年。忙しい、関係ないと返事。一般入居の人みたいだった。

・子どもが出てきたが、震災の時まだ生まれていなかったとの事。安否のみ。

・50代の女性。「結構です」と返事。安否のみ。

・70代女性。灘区で被災。文化住宅の2階に住んでいた。全壊だが解体せず。ここは入居14年。震災後、郊外の妹の家に1年間いた。解体されていなかったので元の家に戻り、住んだが風が吹くと天井を風が通り、すぐに引っ越した。腰痛や動脈硬化などで介護保険を使いたいが、簡単に使えず腹が立つといわれていた。ひざや腰は今は治っている。訪問者から、介護保険の件は同感と共感の声が漏れた。借り上げ住宅の「20年期限」が心配だと熱心にお話された。ここの住宅は6年後の平成31年3月までが期限だと神戸市はいうが、その時84歳と9ヶ月。神戸市が定める85歳以上に3ヶ月足らない。このことが心配だ。どうにかして欲しい。借り上げ住宅の問題は深刻な問題だが、3ヶ月の差で出なければならないなど問題がありすぎることなど、玄関先で大いに話になった。

・留守シート有り。「住み替えが心配」とのみ書かれていた。

以上

第577回 神戸お話伺いメモ 2013/5/25 [2013年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は参加者6名でした。

・70代男性。中央区で被災。全壊。半年ほど借家に、その後ここに入居。借り上げ住宅で、「20年期限」まであと5年。足が悪く、不便を感じると言っておられた。大阪ガスの職員と喧嘩になり、一回料金を払わなかったらガスを止められ、風呂はスーパー銭湯に行っている。料金は800円。このことをとても怒っておられた。

・80代女性。中央区で被災。半壊。入居11年。弟さんが北区にいて、残っているもので崩れた壁を止めて一緒に住んでいた。ミシンで直しもされている。ちょっとさびしがり?かも知れない。一見、弱弱そうで、付き合いがあまりなさそうな感じでした。

・80代女性。支援シート有り(ご家族、お名前、お年の“ご”“お”をすべて斜線で消しておられ、几帳面な方でした)。東灘区で被災。震災では無事。お友達の借家(おかげさまで大助かり)に住まわせて頂きました。一人暮らし。入居6年。おかげさまのひとことで、日々感謝するのみです。一番自分に無いものは、身内です。こればかりは運命でしょうし、肉親愛は生まれもった運でしょうから、かわりにあたたかい気持ちをうしなわず命をまっとうしたいと思っております。色々と長い間に出来た友人知人にかこまれて、さびしいと思ったことはありません。職場にもめぐまれました。一人っ子で育ちましたので田舎の広い家と50人を超えた職人さん等、ゴーッと機械の音が耳にのこっています。

・70代女性。灘区で被災。全壊。震災の時は、3姉妹でマンションに住んでいた。最初は1番館に住んでいたが、長女が亡くなり、広くて家賃も高いので、2年前からここに入居。老人会もあるが、姉と一緒に朝5時に起きて、一時間ほど散歩するのが日課で、ここに住んでいる人たちの交流の場になっている。70歳まで働いてられたせいか、とてもはつらつとしていて、人生を楽しんでおられるように感じた。いい感じの、おばちゃまでした。

・80代女性。中央区で被災。全壊。入居12年。今はひざが痛い程度で元気です、とおっしゃり、穏やかで凛とした美しい方だった。70歳まで働かれていた。老人会に入り、月に2回歩いておられ、とても若く見えました。仲間は7人から12人、一緒に歩かれています。震災時は妹さんのところですごされていた。不便なことは別にないとおっしゃった。気遣いもあり、「雨ですか、お気をつけて下さいね」とうれしい言葉を下さいました。

以上

第576回 神戸お話伺いメモ 2013/5/11 [2013年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は参加者6名でした。

・80代夫妻、中央区4丁目で被災。借家は半壊。短期間、近くの小学校に避難。今でも大工の現役。この日も芦屋で仕事があり、帰宅直後の訪問だった。今でも阪急の高架下に倉庫も持ってられる。お部屋にあげてもらい、長時間のお話し伺い。部屋はきれいに整理され、大工さんらしく木工の置物などもあった。始めは職人らしく、お話はとつとつだったが、お仕事、これまでの経験、人生哲学など深いお話をしてもらった。仕事仲間の保証人になり、これまで借金の肩代わりなど苦労したが、その人を恨んだことはない。励まして、仕事を続けるように言った。借金以外でも仕事上の売掛金があったが、それは個人的にあげると言うと、相手は泣いていた。今でもお土産を持って訪ねてくることなど詳しくお話された。この時はご自分も涙を流されていた。とにかくまじめ。人生に前向きで、職人気質があり、仕事に誇りをもたれていた。奥さんもやさしく、ご主人を支え、この奥さんがいてご主人も仕事に打ち込めたのだろうと感じました。今でも奥さんも仕事の手伝いに行かれ、仲のよい、すばらしいご夫婦でした。「2、3年後に又、伺います」と言うと、奥さんが「そう言わずに又来てください」と。

・80代女性。訪問時は留守で、外にいる時支援シートを持ってこられた。支援シートには「高齢のため色々と悪いです。色々助けていただきありがとうございます。27日は留守をしますが、すみません。市営借り上げ住宅です」と書いてあった。ドアにはさむのを忘れて、わざわざ持ってこられた。50分のお話。中央区で被災全壊。文化住宅で家具の下敷きに。2階から逃げた。ご主人は震災のずっと前に脳出血で亡くなり、6年間寝たっきりだった。自分も大手の会社でずっと働いてこられた。お子さんは娘3人、息子3人。仮設は台風がひどかった。肺がん、C型肝炎、白内障。病気だらけだが「開き直っている」と言って笑われていた。耳が悪く、補聴器をつけられていた。365日、一日も欠かさず住宅の前の広場で体操をされている。腰をくねくね回しながら、ステップを踏み「元気ですよ」と笑っておられた。靴は赤いスニーカー。とにかく元気な、陽気な方でした。初めは悩んだが、考えを改め、陽気になって体も楽になった、とお話された。大手の会社にいたので厚生年金があり生活も余裕があり、テレビ、新聞、そして野球の観戦にも行く、と明るく元気な笑顔でお答えくださいました。

・70代男性。インタホン越しに10分ほどのお話伺い。中央区で被災全壊。当時から一人暮らし。ポートアイランドの仮設に3年、ここに来て14年ぐらい。借り上げ住宅。ここは自治会もなく、近所付き合いもない。老人が多い。隣の人が昨年8月に孤独死した。こういうこともあり、寂しい思いをしている。亡くなって半月ほどほっとかれた。その人はビルマ(戦線)にも行った、91歳だった。この階は老人が多く、孤独死しないようにボランティアの方に時々、寄って欲しい。インタホン越しでしたが、話しているうちに声に張りが出できました。

・80代女性。メモをしていたので、「俳句でもしていると思った」と興味を持って、近づいてこられた。ご主人は90代。立ち話で30分ほどお話を聞く。震災の時は香港におられ、震災直後は息子さん2人も香港に集合されたそうです。言葉もしゃきしゃきしていて、ご主人のことを「いつまでも食べて、困っている。」と笑いながら話されていた。ヘルパーさんが週に一回来るが、家事もすべて自分でされている。戦中は学徒動員でカネボウで落下傘(頒布)を縫っていた。ご主人は見習い少尉で内地勤務だった。実家は明石の造り酒屋。震災時は実家も含めて3軒ほど、地震後解体が大変だった。今は悠々自適の生活。話は尽きなかったが丁重に挨拶して分かれた。

・ 参加者の感想。
 今日の訪問の成果は、満足。3軒の方と長らく話し込むことができました。運もよく、むこうから私達をさがしてくれた。家に上がって、お茶も出してくれ、涙を出して話してくれた。久しぶりに神戸に帰り、東北の活動に参考になりました。公団借り上げの問題は、今後東北にも同じことがおこります。継続は力なりと言いますが、一番大切なことで、今日の経験を生かしあと3年、東北で活動する上で良き参考になりました。

以上

第575回 神戸お話伺いメモ 2013/4/27 [2013年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は参加者7名でした。

・60代女性。ドアホン越しに「手が離せない」と安否のみ。
・70代男性。ドアホン越しに「今から出かける」と安否のみ。
・60代女性。「結構です」と安否のみ。

・30代女性。5分ほどの訪問。入居1年。市外より移転。一人暮らし。震災にはあっていないとのこと。仕事で京都まで通っていると明るく応対された。

・40代女性。ドアホン越しに「忙しいし、しんどいので」と安否のみ。
・40代女性。ドアホン越しに「忙しいので」と安否のみ。
・出てきて「うちはいいです」と安否のみ。

・80代女性。30分の訪問。灘区で被災、全壊。一人暮らし。訪問した時は留守だったが、廊下で押し車を押されて歩かれているのに偶然に会った。一人暮らしで寂しいのか、次から次とお話され、「私一人が残されて、とても寂しい・・・」とお話された。お兄さんは戦死。借り上げ住宅のことでは「ここにおりたい」とお話された。今朝の地震の時、丁度お母さんの夢を見ていて、思わず幼い時に返り「おかあちゃん」と叫ばれたそうです。今でも時々、両親の夢をみられるそうです。2度、頭部を打たれている。病院には気休めに行っていると言いながら、だんだんとたくさんお話ししてくださった。終わりにはとても元気な様子でした。

・一人暮らし。「結構です」と安否のみ。
・40代女性。ドアホン越しに「大丈夫です」と安否のみ。
・60代男性。「結構です」と安否のみ。

以上

第574回 神戸お話伺いメモ 2013/4/13 [2013年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は参加者6名でした。

・男性、被害はほとんどなく、他に行ってと言われた。 
・30代女性。「いいです」と安否のみ
・30代男性。インターホン越しに「忙しい」と安否のみ。
・女性。「大丈夫です」と安否のみ。
・60代男性。インターホン越しに「震災は関係ない」と安否のみ。
・男性。「結構です」とインターホン越し安否のみ。

・60代男性。ドアを少しあけて顔だけ出して「ご苦労様です。ありがとうございます。結構です」とにこやかに話された。

・女性72歳。20分間の訪問。ドアを開けて、表に出てこられてお話をされた。顔のつやがよくて、スリムでとても元気そうでした。西宮で被災。全壊。しばらく近くの小学校で避難生活。身重の娘さんが10時間もかけて避難所まで探しにきたが、留守にしていて帰られたと悲しそうに言われていた。その後、娘夫婦が迎えに来て、須磨区の娘の家に4年近くいた。震災後は須磨から新神戸まで歩いて通勤され、大変だったそうです。会社の会計をされえていた。骨がもろく、すぐに骨折するので退職された。ここに入居して14年。ここはURだが、はじめ1万円の家賃補助があった。近所付き合いはほとんどないそうです。子供達がよく来てくれるので今は何もいうことがない。しいて言えば「お金がないことぐらい」と笑いながら言われ、震災を乗り越えられ、とても気さくな方でした。

・50代男性。インターホン越しに「大丈夫です。元気にしています」と安否のみ。

・60代男性。インターホン越しに「結構です。元気です」と安否のみ。

感想で「今回はドアホン越しが多かった」「今日は留守がちだった」という声が多かった。

以上

第573回 神戸お話伺いメモ 2013/3/23 [2013年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は参加者7名でした。

・40代男性、「元気にしています」と安否のみ。

・60代男性、奥さん30代の息子2人と4人暮らし。1階のエントランス(玄関)で長いお話になった。灘区で被災、全壊。14年前に入居。地震の時はまだ寝ていた。息子はアルバイトの新聞を配っていた。地震の時、近くに住んでいたおじさんが火災で亡くなったのが悲しい。友人のマンションの4階で1ヶ月暮らす。元の住まいでは材料の卸の店を出していた。民生委員を3期もされている。東北の地震では津波があった。神戸はそれがなかったが、今住んでいる所は海に近いので、又地震が心配だ。

・10歳くらいの男の子がインタホンに出て、「両親が今、いないので」と安否のみ。

・80代女性、東灘区で被災、全壊。ご主人と二人暮し。「あまり話したくない」「思い出したくない」と言われていたが、たくさんお話してくださる。震災の時は家の下敷きになり、午後3時頃に救出された。自分たちは怪我はなかったが、息子さんが怪我をされた(怪我は治ったそうです)。震災直後からテント生活で、とても寒かった。体調を崩し、数ヵ月後に病院に行ったが、満員で診てもらえなかったそうです。近所の方はほとんど亡くなった。2人の息子さんは、別のところに住んでいる。ご主人と二人暮しだが、ご主人もあまり体調がよくないそうです。「生きていても何もいいことがない。何の楽しみもない」と言われ、悲しかった。何か一つでも楽しみがあれば。その為には、どうしたらいいのか考えさせられました。

 参加者の感想(今日の訪問活動の成果は? 「やや満足」。お留守の方が多く、おられてもなかなかオープンに話をしてくださる方は少ないのが現実なのかなあと思っていましたが、お二人の方とお話できてとても嬉しかったです。今日は達成感がありました。初めて会う方に出会え、刺激をいただいています。)

以上

第572回 神戸お話伺いメモ 2013/3/9 [2013年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は参加者6名でした。

・40代女性、灘区で被災。半壊。一般入居で7年目。現在一人住まい。震災の時、家具が倒れて父親が骨折した。父母は現在、市営住宅に住んでいる。大阪に勤めていて、近所とは挨拶程度であまり話されていない。はきはきと話をされる人でした。

・40代男性、「今日は仕事でいません。すみません!! 元気ですよ!! 」と支援シートに本人が書かれていた。入居14年。中央区で被災。

・60代女性、芦屋市で被災。全壊。入居7、8年。夫と二人暮し。ニコニコして対応される。答えも軽く受け流す雰囲気だったが、健康なので明るく受け答えが出来たのではと思います。震災後大阪に避難し、西宮市にも避難されていた。表面的な会話を楽しむ話し振りでした。一同大いに笑いました。

・80代女性。入居11年。部屋に通される。東灘区の古い借家で被災。半壊。天井が落ちる。8時間ほど放置される。たんすや食器棚があったが、南北に揺れて助かった。ご主人は亡くなり、7回忌を迎える。脳梗塞で入院し、亡くなり、その後解剖してアスベストが原因でガンになったことがわかり、補償を受けることが出来た。今年から2人のお孫さんと一緒に暮らし、大丈夫ですとのこと。とても気さくで、お髪が黒黒としていて、明るい人でした。とてもあたたかい方で、いやされました。おいしいお茶をいただき、心からお礼を述べて辞した。

以上

第571回 神戸お話伺いメモ 2013/2/23 [2013年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は新人1名を含めて、参加者6名でした。

・40代女性、灘区で被災。半壊。一般入居で7年目。現在一人住まい。震災の時、家具が倒れて父親が骨折した。父母は現在、市営住宅に住んでいる。大阪に勤めていて、近所とは挨拶程度であまり話されていない。はきはきと話をされる人でした。

・40代男性、「今日は仕事でいません。すみません!! 元気ですよ!! 」と支援シートに本人が書かれていた。入居14年。中央区で被災。

・60代女性、芦屋市打出小槌町で被災。全壊。入居7、8年。夫と二人暮し。ニコニコして対応される。答えも軽く受け流す雰囲気だったが、健康なので明るく受け答えが出来たのではと思います。震災後大阪に避難し、西宮市にも避難されていた。表面的な会話を楽しむ話し振りでした。一同大いに笑いました。

・80代女性。入居11年。部屋に通される。東灘区の古い借家で被災。半壊。天井が落ちる。8時間ほど放置される。たんすや食器棚があったが、南北に揺れて助かった。ご主人は亡くなり、7回忌を迎える。脳梗塞で入院し、亡くなり、その後解剖してアスベストが原因でガンになったことがわかり、補償を受けることが出来た。今年から2人のお孫さんと一緒に暮らし、大丈夫ですとのこと。とても気さくで、お髪が黒黒としていて、明るい人でした。とてもあたたかい方で、いやされました。おいしいお茶をいただき、心からお礼を述べて辞した。

以上

第570回 神戸お話伺いメモ 2013/2/9 [2013年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は新人1名を含めて、参加者6名でした。

・20代女性 中央区で被災、小学4年。学校で1ヶ月避難していた。一般入居。今はご主人と5ヶ月のお子さんとの生活。ご主人は修学旅行のときに震災にあった。今、赤ちゃんが寝込んでいるとのことで話はあまりできなかったが、若い人から元気を頂きました。

・80代女性 灘区で被災、全壊。ご主人は1時間生き埋め。入居14年。ご主人はドアの間からポツリポツリとしゃべり始め、生き埋めになったので人工血管だらけの体になり、思い出すのも嫌だと。奥さんが丁度、病院から帰ってこられたとこで、リウマチやひざ、糖尿病など五つも病気があることや、震災の時は水運びが大変だったことなどこと細かく話していただいた。あまり皆で話しかけたので初めは少し戸惑ってられていたが、40分ほどのお話が終わってホッとした様子がうかがえた。お体がお悪いのにお話をしていただき感謝です。いつまでもお元気でとお別れした。

・若い女性がインターフォン越しに「大丈夫です」と安否のみ。

・「忙しい」と安否のみ。

・中年の男性。出会い頭に「いい、いい」と目を三角にして怒られた。

・20代女性。東灘区で2歳で被災、半壊。震災の記憶は全くない。入居3年。近所づきあいはありませんと言われた。お子さんは5ヶ月。一般入居で家賃が6万円。

・若い男性の声で「大丈夫です」と安否のみ。

 初参加の方の感想「満足。寒い中、一戸一戸訪問され、声かけなどをされ、地道な活動をされておられたのに感動しました。」

以上
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